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    陸皓東、楊殷の記念展示区は、二つの省級保護部門である楊殷旧居と陸皓東旧居を含んで、広東省党員教育基地であります。中には、陽殷旧居の原状の陳列と陽殷記念展覧、陸皓東旧居の原状の陳列と陸皓東記念展覧及び党員教育展覧庁などを設けました。それは、中山ひいては広東の重要な党員を教育する場所になって、良好な社会効果を収めて、十分に広東省が党員教育の拠点としての効果を発揮しました。
 
   【 陸皓東の旧居 】
   南朗鎮翠亨村に位置して、清末に建てて、東に向かって、占有面積は約446平方メートル、建築面積は215平方メートル、当地の典型的な"三間二廊"式によって、れんが・木構造の建物であります。建築の風格は質素で、軒の下に装飾画を施し、玄関前に「二竜世胄、双壁家風」の木製の対連をかけて、室内に《陸皓東烈士の記念展覧》があります。旧居の前に庭があって、嶺南の花と木を植えています。孫中山先生に「中国の歴史が始まって以来、共和革命のために犠牲となった第1人」と誉められた陸皓東(1867~1895)烈士の青少年時代は、ここで住んで生活しました。
   1989年6月、陸皓東の旧居は広東省の重要な文化保護財とされます。
 
 
   【 陸皓東の記念展覧 】
   陸皓東烈士は孫中山先生の若い頃の革命事業の忠実な追随者と有能な腕利きであって、興中会がリーダーとしての第1回の武装蜂起したのである乙未の広州蜂起が失敗した後、不幸に逮捕されました。1895 年 11 月7日 国のために命を擲って、孫中山先生に「中国の歴史が始まって以来、共和革命のために犠牲となった第1人」と誉められます。
  陸皓東(1867-1895)の名は中桂、字は献香、号は皓東、広東省香山(今中山市)人。孫中山と幼い頃から仲よくして、村塾の学友であります。1883年、陸皓東は孫中山と一緒に村の北極廟の神仏像を壊して、村の住民に許さないので、孫中山と故郷を離れて香港に行って、そして洗礼を受けてキリスト教に加入しました。1884 年上海の電報学校で勉強して、卒業した後電報局で勤めました。その時、陸皓東は故郷へ帰ったら、あるいは用事のために香港を通ると、よく"四大寇"と称されていた孫中山、楊鶴齢、陳少白、尢列と集まって、清政府の腐敗非難して、中国を改造する方法を探求しました。
 
   楊殷の旧居
   楊殷の旧居は南朗鎮翠亨村に位置して、"翰香堂"とも称されて、清の咸豊年間に建られました。その建築面積は244平方メートルであって、初期の中国共産党の革命の指導者と有名な工人運動の指導者である楊殷烈士の旧居であります。陽殷の旧居は、当地の典型的な"三間両廊"式によって、れんが・木構造の建物で、ホールが3つと二つの廊下を左右されました。両側の寝室は木の板で2層を分けて、台所と食糧を加工する部
屋は右で建てされました。花崗岩の石板でを造られた壁の下、青いれんがの壁、硬い山頂、軒の前に精美である木彫りの軒板、洋式によってチーク材の巻き揚げブラインド、窓の上には、嶺南の果物の特徴であるレイシ、仏手、ゴレンシなどを中身にして、西洋の雰囲気を漂った灰の彫塑があります。正面ホールには、清朝の酸枝木の手すりの椅子ひとそろいで装飾されて、神楼の木彫りは精巧で美しくて、金を塗ってぴかぴかして、立派で堂々としています。建物の外壁にまだ清末の匪賊が壁を掘って略奪した痕跡と抗日戦争時期に日本軍が射撃した弾丸の当たった穴なども留保されています。今、室内に楊殷烈士が生活した時の様相を復原されて、そして[楊殷烈士の記念展覧]も設けられました。
    1989年6月、楊殷の旧居は広東省の重要な文化保護財とされました。
 
   楊殷の記念展覧
    楊殷、別名は楊観恩、字は典楽、号は命虁 、1892年8月12日に翠亨村で生まれて、若い頃、孫中山が指導としての革命運動に追随しました。1922年の秋、中国共産党に参加して、積極的に工人運動に力を尽くしました。1925年から1926年まで、中国共産党広東省委員会の委員として、国内外を驚かせた省港大罷業を行って指導しました 。1927年5月、広東省委員会粛清反革命委員会の主席を兼任して、10月、中国共産党中央の南方局軍事委員会と粛反委員会の指導者を担当しました。そして省委員会の委員を兼任して、工委の仕事やりました。1927年12月、全国を揺るがせた広州蜂起
を発動することに参与して、そして広州のソビエト政府が創立する時、広州ソビエトの人民粛反委員とソビエトの人民委員会の代行主席を担当しました。1928年6月、モスクワへ行って中国共産党の「六大」に参加しました。会議中、中央委員、中央の政治局候補委員、中央の政治局常務委員の候補委員と中央の軍事部長に選ばれました。同年11月、中央の政治局常務委員の委員に昇進しました。
広東省党員教育の基地
    007年6月28日午前、更に烈士の革命精神を発揚して、党員が長期に教育を受ける場所を提供して、また党員が先進性を永遠に続くように激励するために、広東省党員教育の基地と中山市党員教育の基地は、孫中山の旧居記念館でオーペンしました。
    広東省党員教育の基地と中山市党員教育の基地は、中国共産党の初期の革命の指導者、有名な工人運動の指導者である楊殷烈士の旧居を主体にして、また、党員教育展示ホールを設けました。展覧とドキュメンタリーを通して、民主主義革命時期に広東中山での中国共産党の活動を紹介して、党の指導の下で、中山の人民が革命と建設についての偉大な実践及びすばらしい業績をあげたことが現れました。従って、広範な党員に更に先陣を争って模範的作用を発揮するように励して、社会主義現代化の祖国を建設することと調和が取れている社会を作り上げることのために努力します。