中岛善太郎致孙中山函 (1912年4月5日)(日文)

(原文)

拜啓 春風洋々百花満開の候、貴下益々御安泰、

欣賀奉りて存申上候。御芳名を欽慕仕候久しからず親しく御物語を仕候折を得ず。

生近江国の出身の故文学博士根本通明先生の門生思之想之二十餘年不畢。回天の事業半途にして成ず。

人世悲惨のきわみも父母を亡びすぎし三十年七月なり。成田霊山に立籠の心霊の修養十五週年、大悟。

徹底神人感應の術をうることを得たり。一片貴国貴下をおもふ友愛の情禁ずる能はず。

うけし神人感應通の術によりて、貴下六十年の運命、貴国本年の運命を申しつぐ。貴下本年の運命は、潜龍池中を出で大事業に○問を惜しみて努力あるの時、

安逸を許さず、益々憤闘、大帝国のために努力有るべしとあり。

清国目下の大問題となりうる帝都の物事酌伝の土地は北京を以て確定なすべしとあり。地一度変政ある時は意外の災害生ずべしとあり、動乱は今後数動なすべしとあり。

其貴国本年の運命に至りては自重自愛し、確信を以て猥りに八方によるの態度を慎み、飽く迄維持に努め、軽挙事をなす妄を慎み盡力をし給はりて人事を一言申上候。

敬具

日本下総成田霊山,明治四十五年四月五日

中島善太郎

孫逸仙殿 御許へ

(译文)

拜启 值此春风拂柳百花盛开之际,欣闻先生贵体康泰,喜不自胜。

久仰先生高名,却未有机会执拙笔叙先生之事迹。

鄙人生于近江之国,欲投身于原文学博士、根本通明先生门下,奈何二十余年始终不得如愿,力挽狂澜之事业亦半途而废。父母双亡,历经世事艰险,自一八九七年归隐成田灵山,闭门不出修身养性,历经十五年,终大彻大悟,习得天人感应之术。亦不禁稍思贵国及先生手足之情。

余以天人感应之术观先生六十年及贵国本年之运势,先生本年犹如龙出浅滩,不惜时间为大事业奔走,不辞劳苦,日益激昂奋进,为中国鞠躬尽瘁。

中国目前最大之问题,乃于北京立南京政府继承土地之正统地位。土地变则灾害生,灾害生则动乱起。

至于贵国本年之运势,望自重自爱谨言慎行,竭殚精竭力于国内维稳,切勿意气用事轻举妄动。

此致

敬礼!

日本下总成田灵山,一九一二年四月五日

中岛善太郎

孙逸仙先生敬启。