楊兼善祠遺址
研究著述
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楊兼善祠遺址

楊兼善祠は翠亨村の楊氏一族の祠堂の一つで、およそ清同治年間に建造された、主要建築は三部屋二進式、正座の左右両側にはそれぞれ一つずつ副屋があり、主要建築と副屋は「風起」「蛟騰」の二つの通路を挟んでおり、全ての部屋は中軸対称、正方形の質実剛健な建築物となっています。楊兼善(名は廷英、字は達勛、号は兼善)は翠亨楊氏の第十九世の祖であり、清乾隆三十九年(1774年)に生誕、「道光二十二年(1842年)、俊秀にして報捐によって従九品の官位と勅命により佐郎候選巡政司に昇進する…咸豊九年(1859年)に昇進して中議大夫に封ぜられる」と、同年死去しました。楊兼善祠は彼の後代によって建造されました。民国時代、楊兼善祠は「中山県立郷村師範学校」として利用され、解放後は礼堂・糧食加工場・倉庫・牛小屋等として利用されました。現在その建物は既に崩れていますが、「骨格」はなお残存しており、一部の建築細部は保存状態もよいため、現存の建築構造と様式から嶺南祠堂の典型的な風格であった当時の姿をうかがい知ることができます。

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