楊日韶(1918~1942)、翠亨村出身。1936年中山県立農村師範学校を卒業した後、五区(今の三郷鎮)光後小学校で教鞭を執っていました。この間、積極的に抗日運動に参加しました。1938年に中国共産党に加入すると、教師の職業のフリをして、共産党の仕事に従事しました。1940~1942年に、五桂山抗日遊撃大隊の中隊長、「挺三」梁伯雄大隊の副官、副大隊長、南番中順中心県委員会が直接指導した抗日遊撃隊第一主力中隊の中隊長を前後に担当しました。
1942年5月、五桂山抗日遊撃大隊は友軍の梁伯雄大隊を支援するため、謝立全、譚桂明、欧初が遊撃隊を率いて三路に分けて敵を攻撃し、譚桂明と中隊長の楊日韶は正面攻撃の任務を担当し、短い時間で全勝し、日軍偽警所とその一中隊の偽軍からの武装力を粉砕しました。楊日韶は戦争中に重傷を負っても銃を抱えて射撃していました。傷が重すぎて、病院に転送する途中で犠牲になりました。