譚家山孫族墳場は翠亨北東部1.5㎞にある犁頭尖山南東、崖口附近の「猪肝吊胆」と呼ばれる譚家山陽坡に位置します。1931年夏から秋にかけて、孫科・孫滿が主催となって総理故郷記念中学校(現中山記念中学)校区内の孫氏家族祖墳をこの地点に改葬して譚家山孫族墳場が形成されました。その後、孫文の長女孫娫・孫眉の養子孫威・孫文の実姉孫妙茜及び翠亨孫氏のその他の傍系の故人が相次いでここに埋葬されました。この墳場は五行の排列に分けられ、孫敬賢・孫尊賢・孫旭賢・孫国賢・孫業賢等の傍系祖先と親族が合葬されています。その中で十一世孫瑞英・十二世孫連昌・十三世孫逈千は孫文の直系祖先、孫学成は孫文先生の二叔父です。この墳場の墓葬は翠亨孫氏の家族繫栄と傍系関係の研究・理解に対して重要な学術的参考価値を有します。現在に至るまで各墓は完璧な保存状態を保っており、20世紀80年代より、孫族墳場は翠亨孫文故居紀念館が管理責任を負っています。2004年、譚家山孫族墳場は中山市移動不可文物機構に登録されました。