抗日烈士楊日韶・楊日璋の故居には、「革命の母」と言われる譚杏も長期間ここに住んでいました。
楊日韶(1918~1942)は翠亨村の人で、抗日戦争期に前後して五桂山の抗日遊撃大隊中隊長、「挺三(第七戦区挺進第三縱隊)」梁泊雄大隊副官・副大隊長、南番中順中心県委員会が直接指揮した抗日遊撃隊第一主力中隊の中隊長となります。1942年5月、浮墟へ突撃する戦争中に壮絶な犠牲となりました。楊日璋(1919~1944)は楊日韶の弟で、かつて南番中順遊撃区指揮部が指揮した抗日遊撃隊の第一主力中隊の中隊長となり、幾度も日本軍・偽軍の抗戦に参加しました。1944年4月15日、張溪偽護沙隊第十五中隊を襲撃する際に、敵陣攻撃の任務を負い、激しい戦闘の中犠牲となりました。