楊貞義堂はは南朗鎮の翠亨村に位置し、清代中後期に建造されました。敷地面積628㎡、現地の伝統的な大邸宅です。建設者である楊啓垣(1826~1866)が、「清誥封朝議大夫」に義援金を出して官位を図ったため、この家屋は「朝議第」と称されます。その子楊賀は孫文先生の幼年時代の遊び仲間となり、後にホノルル同盟会のメンバーとなりました。楊貞義堂は三進式(門前空間(第一)・正堂空間(第二)・後堂空間(第三)の計三空間に分けられる、中国の伝統的な建築空間様式)の三部屋、中軸対称、正方形の質実剛健な建築物です。門前には「德門啓範 寿宇長春」と刻まれた木板の対聯が掛けられており、凹式の大門に花崗岩の扉、軒下には精巧で美しい灰塑(かいそ。泥で形成され煉瓦を彫って造られる広東省広州市独特の建築芸術)と装飾画によって飾られ、正面の壁はきめ細かく光潤な水磨きを施された青煉瓦によって建造されており、富貴さが倍増されています。左右両側の房門の門額は色彩が入り混じって美しく、西洋の風格が豊富な灰塑によって装飾されています。前庁には「貞義堂」という木製の匾額が掛けられています。正庁の両側には楊啓垣の父で、清朝議大夫の楊業勛夫妻の画像が掛けられています。第二空間の天井両側には完璧な保存状態の満洲窓があり、庭には嶺南の花木が植えられており、閑静幽雅な空間です。
2009年9月、楊貞義堂は中山市文物保護機構に登録されました。