陸皓東墓は翠亨村の犁頭尖山の山麓に位置し、1937年に中山県県長楊子毅が主催となり、永固公司の商人黎達が工事を請け負い、6370元の資金を費やして建造しました。面積は約350㎡。墓前には石牌坊が建てられ、その上には楊子毅が記した「陸皓東烈士墳場」の石額が掛けられています。陸皓東(1867~1895)は、孫文の革命の戦友であり、第一次広州起義の時に革命党員の名簿を破棄しようとした際に捕らえられ犠牲となり、孫文から「中国有史以来、共和革命のために最初の犠牲者となった」と称されました。
2009年、陸皓東墓は広東省重点文物保護機構に登録されました。