楊翰香堂は南朗鎮の翠亨村に位置し、清光緒十四年(1888年)頃に建造されました。敷地面積950㎡・主要建築は敷地面積166㎡、中国共産党初期の革命指導者・著名な労働者運動指導者である楊殷烈士の故居です。楊殷故居は現地の典型的な「三部屋両廊」式の煉瓦・木造建築です。大広間は三部屋に左右二部屋の縁側家屋が設けられ、両側の寝室には木版で上下二層に隔てられ、厨房及び糧食加工所は左側に建てられています。花崗岩で作られた壁の石板基層に、青煉瓦壁、硬山造り(「人」の文字を模った屋根造り)が建てられ、軒前には精巧で美しい木彫りの軒蛇腹があります。窓は西洋式のチークブラインドを採用、窓口には精巧で美しい嶺南独特のライチ・ブッシュカン・スターフルーツ等が描かれており、西洋の風格を帯びた灰塑(かいそ。泥で形成され煉瓦を彫って造られる広東省広州市独特の建築芸術)によって装飾されています。大広間の家具調度品は清代の紫檀(シタン)製の肘掛け椅子、木彫りの精巧で美しい神棚、漆金の光沢といった、壮大豪華な建築様式が一式揃っています。建築物の外壁は今もなお清末に革命軍によって掘り破られ、後に抗日戦争期に日本軍によって撃たれた銃創痕などの痕跡が残されています。現在室内では楊殷烈士がここで生活していた頃の風貌が復元されており、「楊殷烈士記念展示」が開かれています。
1989年6月、楊殷故居は広東省重点文物保護機構に登録されました。